2016年10月3日月曜日

感じる


『創造性』 とは新しい事をやること・・・

これを実行すると失敗したり予期せぬことが起こる可能性もあります。

この危険を感じながらも敢えて実行することが 『冒険』 であり、

それを敢えてやる気構えが 『勇気』 である・・・。


その『勇気』とは思い切って決行する気迫です。

人がなにか新しい行動をしようと決心するとき、

心の中にそれを拒む抵抗があります。

それは「取り越し苦労」だったり「現状維持本能」だったりもします。

そこで、まずこれらの気持ちを抑えて行動する必要があります。

その時に必要なのが

やれるという 『自信』 という気持ちがないとその『勇気』が出てきません。


『自信』はその問題の困難性を見通すことと、

それを解決する能力の自己評価とのかねあいで決まるものです。

そのためには

どんな困難や失敗があるのかを予測して

それを克服する手だてを推測してみることが大切。


でも、

初めてのことだったり、予期せぬことも多いので

恐ろしさや不安が先に立って真の姿がなかなかつかめず、

考えれば考えるほどその恐ろしさは増していきます。


そこで、

その困難性を見通すには一応の情報をもとにして

『直感的』に見定めるしかないのです。

これがいわゆる 『カン』というものだと思います。




困難を解決するときに

自分以外の人たちの協力や組織、資力などを要する場合には

なおさらその能力の有無は正確にはわからないので、

結局は過去の実績や経験、あるいは他の人の能力や経験談を

もとにして客観的に評価を下すことになり、

帰すことろ、最後は自分の総合能力を直感的に自分自身で評価するしかないのです。



したがって、

『自信』というものはあくまでも主観的なものであって

「自分はできると信ずる」というだけのことなのです。

その時に人からうぬぼれだと言われるのはやむを得ない事で

気にする必要はないのです。



よって、

あまり過剰な調査は自信を得ることにはつながらず、

むしろ困難を過大評価してしまったり、

自分の能力不足を感じて

不安の増加で自信がもてなくなってしまうのです。


そこで行き着くのは

このような自信論を超越して 『やろう!』 という気持ちに

つなげなければいけません。

それを 『勇気』 というのでしょう。



自信の有無や「自信かうぬぼれか?」の議論ではなく、

むしろ信仰の様な

「人事を尽くして天命を待つ」、

「案ずるよりも産むが易し」などの言葉は

すべて勇気を出させるためのものなのでしょう。


ともかく、

「やってみろ!失敗しても俺が責任を持つ、安心してやれ!」と

いうようにすれば、

『必ず道が開けます』。


『成せば成る』という言葉も暴言でも無茶でもないのです。



たとえ途中で困難があろうと、

論理や経験から不可能だと言われようと、

先に記した 『カン』 という第六感的洞察によって

『可能性の見通し』がつくこともあるのです。


また一見、

見通しがつかない時こそ

「窮すれば通ず」のたとえのように『創造性』が必要であり、

気持ちの持ちようによってはその力が出やすい時なので

『できる』 と信じることが道を開いてくれることになるのです。



単に理屈による議論の問題ではなく、

本当に困難や危機に遭遇した時に

その 『ひらめき』 によって切り抜けてきた例は実にたくさんあります。

それを計算に入れないで、

自信がないからやめておこう、

というのは 『勇気』 がないとしか言いようがありません。



『勇気』は『自信』に先行する。


それを強調したいのです。

・・・・・


やっと自分の言葉が書けます(笑)

長い文でしたが(汗)

これはこれまで読んだ本の中で唯一

『そうそう!』

『自分の感じるものと同じ感覚が文章で書かれているなぁ』・・・

と感じた本で西堀栄三郎さんという方が書かれた本です。


(笑)とはいっても

西堀さんの様な立派なものはなにもしていないのですが、

ものの捉え方だったり、

生活そのものに出てくるようなところも含めて

生き方という大きなものから小さな出来事の関わり方まで

いろいろなところで

ムリや抵抗が全くなく心の中にある感覚が

そのまま文字になっていたので

これを読んだ時には本当に心が躍っちゃいました(笑)



今日たまたま研究室の整理をしていた時に

この本を見つけたので、

ちょっと開いてみるとこのページだったので数年ぶりに読んじゃいました。

その影響で久しぶりに熱くなっちゃってアップしちゃいました(笑)


今夜は興奮で眠れるかなぁ(笑)



0 件のコメント:

コメントを投稿